2011年移住:宮畑周平
34歳の編集者です。栄養士・料理研究家の妻と二人の子どもとともに上島町弓削島に移住してきて4ヶ月になります。
地元・神戸の大学を卒業したあと、ニュージーランドに1年間滞在。帰国後商社に入社して貿易業務や営業活動を東京で行っていました。その中で、どのように社会が機能しているかを理解することができましたが、一方で「お金を儲けること」が一番大切な価値であるという風潮と、「モノをつくり続け、消費し続ける」という社会の構造に疑問を持つようになりました。果たしてこれは自分にとって、あるいは人間にとって幸せなことなんだろうか?
2010年に移住:武田公一
出身は愛媛県今治市ですが、同じ愛媛県内でも近くて遠い存在の「島」。以前は、企業や団 体などを取材して活字にする仕事に携わっていましたが、30歳となるのを機に「生き方を変えて見よう」と退職し、設立時から交流のあった「株式会社しまの会社」の兼頭一司さんが取 り組んでいる日本の新たなモデル作りに共感して弓削島に移住しました。 島で生きていく上で、日々の糧さえあれば生活に問題はなく、不便さを感じることもあまり ありません。むしろ、大学〜社会人にかけて忘れてしまっていた、近所付き合いをはじめとする地域社会との関わり合い方や、お互い助け合いながら生きているという基本を改めて感じながら生活しています。移住した際、同じ地域の方から言われた「なんで(家の)鍵をかける んな?」という一言。最初、聞いた時は「何て不用心な」と思いましたが、よくよく考える と、それだけ同じ地域に生きる身近な他人を信頼している証拠で、それが基本にあるからコミュニティとしての結束力があるんだと実感しています。 島社会は人間関係が濃密ですが、弓削島の場合、自ら溶け込んで行けばそれを受け入れてくれる気質があります。職業選択の幅が広いとは言えませんが、自然に囲まれた環境で島人として 精神的にも豊かな日々を送るのも良いものだと思います。
2004 年末に移住:古﨑公一
私はここ上島町の岩城島に住んで7年目を迎えました。
私の実家は福井県で高校まで地元にいました。その後、単身でアメリカの大学に進学。大学を卒業後、東京のコンサルタント会社に就職し東京での生活を経験するも、元来田舎者の私がなかなか満員電車や自然の少ない環境で生きていく事に嫌気と不安を34歳になり感じ始めていました。
そんな頃、嫁(その時は予定者)の生まれ育った、瀬戸内の岩城島を訪れ、自然が残り、穏やかでのんびりとした日本の田舎文化が残るこの地はとても魅力的に思えました。
但し、それだけでは移住しようという気持ちにはなりませんでした。実際、私が移住を決めたのは岩城島を訪れた時に中学生が元気に「おはようございます!」と見ず知らずの私にあいさつしてくれた事に深い感銘を受けたからです。自分の子がこのようにきちんとあいさつできる子になって欲しい・・・そんな気持ちが強かったからだと思います。
子供を育てるのは家庭や学校だけではなく、生活している地域の環境で大きく左右されます。前述した通り、挨拶ができるかできないかというのは私の中でとても大事な事でした。そして、それができる子がいる岩城島という環境が我が子にとって一番適していると感じました。
人間は自分の生きていく術を得ながら、より自分に合った環境で生活したいと思っています。